2016/05/19 往相と還相を考えてみる。

とある先生にこのような本をご紹介頂きました。
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親鸞は浄土真宗の開祖、中世の仏者。 インドから伝来した仏教、浄土教の思想を極限まで突き詰めた人物。
非僧非俗を任じ、僧でありながら妻と子が居たとのこと。戒律を重んじ、修行により自然の声から真理に近づくというそれまでの考え方を否定。念仏が原因(修行)でその結果の往生ではなく、念仏を唱えること自体が阿弥陀仏のすくい(他力)だとした。それまでの概念と決定的な転換をした人物だそうです。
親鸞に傾倒した詩人で、思想家の吉本隆明氏の著作。
ご紹介者の先生の話題は、本記事のタイトルどおり「往相と還相」のお話がメインでのご紹介だったのですが
 拝読して特に印象深かったのが、阿弥陀仏の48の本願のうちの、第18番目「わずか10回でも念仏を唱えれば、一切衆生を極楽に往生させる」という願目です。「阿弥陀仏の第18願というものは、もともと煩悩具足の凡夫の為に、あるいは悪人成仏のためにある願。だから悪人の方が近道なんだ」という解釈です。
親鸞はこのようにも説いているそうです。「善いことをしているときは、悪いことをしていると思った方がいい」
この18願を親鸞は重要視した結果、僧侶でありながら、修行を否定し所帯をもち肉や魚を食べたのでしょう。
 本文にはこのようなことも書かれておりました。
   善いことばっかり言う奴と善いことばっかりやる奴とが身辺に満ちてくると、息苦しくなることがあるでしょう。
なぜ息苦しくなるかといえば、善悪を本当には知らないから。 
 すごく納得できます。自分も含めて「はからい事」の多い世の中に生きてますから。このはからい事や善悪を第一義的に考える時相が「往相」 。これも耳の痛い話です。 歯科医師として、 いい加減な治療は「悪」。自分が全力で魂をこめた治療が「善」だと若い時分には本気でおもってましたから(笑)。
 興味深いなと思ったことは、この自分が考える「善と悪」を第一義に考えなければ「やりたいと思うことすればよい」という考え方です。  還相は山登りで言うところの「下山」。著者は思想を極める往相よりも、この還相に着目して著しています。 未だに還相の域には達せない未熟者ですが、大変有意義な一冊を拝読しました。
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by nooji1 | 2016-05-18 16:20 | Trackback | Comments(0)

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